あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

音楽

みなさん、こんばんは。

今日は、小山実稚恵さんのピアノを聞きにコンサートへ行ってきました。ラフマニノフピアノ協奏曲第2番。エネルギッシュというか、崖っぷちを走り抜けるようなイメージから第二、第三楽章への流れに感じる安堵感というか、、、(涙)

あーーー、軽く信念体系クラッシュしています。帰ってきてからの体調不良具合と言ったら、、。身体は正直で、最近ちょっと頭を悩ましていたのですが、それもひと段落し、解放されたと思ったのです。そして、迷いに迷った、オファーへの答えも出て、今進む道を決めました。

また暗闇に落ちることがあっても、この音楽のように、ひとは進んでいける、進んでいこう、と勇気をもらえました。

勇気がない私だから、勇気を取り戻す、エンパワメントを私はしたいんだと、音楽を聞いていてハッとしました。ひとが勇気づけられるのは、その人の意識の筋肉が大きくなっていく時で、それはいつ大きくなるのかというと、自分自身を受け入れた時だと思うので、受け入れるためのサポートとして私に何ができるのか、直観を大切に日々精進していきたい気持ちが強くなりました。

音楽って、伝わりますよね。ああ、素晴らしい時間と機会に恵まれたことに感謝の気持ちが湧きます。人が作ったもの、鍛錬されたことって、すごいですよね。あの瞬間、会場にいた人たちの頭からいろいろなものが抜けていったんじゃないかな?とか今は思います。その時は自分でいっぱいいっぱいでしたけど。私が癒され、宇宙も癒されたんだろうな。

今日もすてきな一日をありがとうございました!

あかね

見る、見られる

みなさん、こんばんは。

今日は、姪とお正月ぶりに会いました。かわいい!

そして、2歳にもなっていないのですが、私が話しかけている内容は分かっていそうだし、誰と何をどうした、ってことを楽しかった時なのかな?何かしていると、場合によって、すぐに笑顔で伝えてきます。

こぼした水を一緒に拭いたり、ゴマをすったり、大人に好評ではなかった、酢の物をパクパク食べてくれたりするたび、姪のかわいさがmaxです、笑。そして、ああ、自分をこんな目で見てあげられるようになりたいな、と思います。

ガイドは一体どんな目で私の事見てるんだろ?私が見ようとしている世界をどんな風に見せてくれようとしているんだろう?と思います。

見る、見られる、どう見られていると思っている、この関わりによって、その人とその周りは大きく変わりますよね。

見られていないと思って、みんなが見ていると思って、どちらでも変わらない自分でありたいと思います。ある、には程遠い、笑、正直、「ありたい」より、まだ「なりたい」か、、爆。

姪の滞在を満喫したいと思います。姉に感謝!

あかね

祖父の時代

みなさん、こんばんは。

陰暦ですが、2月15日はお釈迦様の命日、涅槃会と呼ばれる日だったそうですね。この日は、お寺さんへ行くと、七色?のすあまを頂いた覚えがあります。

今日は祖父の命日で、そちらの意味合いの方が私にとっては大きいわけですが、そんなこともふと面白いことだなあ、と。自分にとって、近いと思う存在のほうが大きな意味を持つし、それを大切にしたいと思います。9月11日、3月11日、生まれのひとが肩身の狭そうな感じでいるのを見ては、どうしてよ、と思うのと同じですね。

そんなわけで、というわけでもないのですが、最近祖父が戦争に行く前にあったエピソードなどを親から聞く機会がありまして、二代前の世代というだけで、想像が追い付かない世界を見て、そこを生きてきたんだなあと、様々な思いが巡りました。もうじき100歳になるご近所さんも、この方は痴呆の症状だとかも一切感じさせない、しっかりとした方で、乗り越えてきた世界の違いに圧倒されます。

わたしも、あんな100歳になるにはどうしたらいいんだろう、と思います。せめて、PPK(ぴんぴんコロリ)といけるように、シャキッとした気持ちを持って生活したいです。

この時代に生まれて面白かった、充実していた、と思えますように。いつの時代も、ありがたいなあ、と思って暮らしている人はいるんですよね、きっと。

ありがとう。おやすみなさいませ。

あかね