あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

奇跡

こんばんは。

今日は、最近思っていたことを活字で見つけたので、その紹介です。

以前、IHのワークショップの中でマチルダから「これから所謂奇跡と呼ばれることにセッションの中でも多々立ち会うことがあるでしょう」という旨のことを伝えられました。

その時に、ああ「奇跡」というのは、その人の理解の域を越えているだけで、そのことが起きる可能性の大きさ云々ではないんだな、と奇跡という言葉についての定義が一気に広がりました。

電子レンジを知らない人にとっては、とうもろこしを入れて、それがポップコーンになって出てくる、これも奇跡なんだと。

そう考えたら、私が知っていることなんて僅かですし、医師として働く友人たちも、医者にわかることなんて少しだよ、人間の体の10%もわかってないんじゃない?なんて、言葉を聞くわけですから。それなら、私も奇跡に立ち会っていくのかもしれない、と素直な気持ちで言葉を受け入れることができました。

そして、今日本の中で次の言葉を見つけました。

「奇跡は、決して自然に反して起こり得はしない。ただ、我々が知っている自然はまだほんのわずかなのだ」-聖アウグスティヌス

 『光の手-上-』(河出書房新社)p.43より

自然、大きな自然の中に私たちはいるんですよね。

そして私たちは、奇跡の中にいるんですよね。

どうして、奇跡の中にいると思うときらきらした思いが胸にこみ上げるんでしょうか。

生きている、と思うだけできらきらした気持ちに包まれる、とてもしあわせです。

 

あかね

 

光の手―自己変革への旅〈上〉