あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

お盆

暑い日が続きますね。
みなさん、お元気ですか?
昨日は、畑でミソハギとススキと馬にするナスを採って、迎え火焚いてと、お盆初日を迎えました。
この地域は7月がお盆ですが、10分離れたところでは8月がお盆で、初盆の家を回ったりするのも、あそこは7月?8月?といった具合です。 
田舎にいる今年は、お仏壇に供えるお花を自分の家で用意できたらいいな、と思い菊を植えて育てたり、春には乙女椿や木瓜水仙や名前のわからない花を採っては供えたりもしていました。
供えるものを用意できると、とっても嬉しい気持ちになります。お供えされてる、祖父母の気持ちはわかりませんが、私は嬉しくなって、りんもいつもより大きな音でちーんと鳴らしたくなります。
今、とても暑いこともあり、畑の世話をするのは、手間どころじゃなく結構体力使うので、喜びもひとしおです。
昔はお盆に何をしていたのか、風習をちょっと調べてみたりすると、とても興味深いです。
家から一番近くの山に行って、枝を採ってきて(道しるべにするんですって、空から亡くなった人が来るから)お墓で迎え火焚いて、家の門の前で焚いて、と順々に家に上がってもらうように案内するようです。
外国から10年ぶりに帰ってくる親戚を、空港に迎えにいく前に近くの山から手を振って、空港へ迎えに行って、家の前で残りの家族が待っていて、と迎えているような感じで、とても面白いですよね。
もう、亡くなって、こちらの世界の事を少し忘れてしまっているかもしれないから、と優しさを使って昔の人が亡くなった人を迎えていた感じがして、こちらまで優しい気持ちになります。
少し非物質界に触れるようになった今では、きっと亡くなってる方は、ぴゅーーっとこちらまでこれちゃったり、全然こちらの世界のことを忘れてなんていないと思うのですが、お盆は丁寧にお迎えする時なんですね。時々、何かに対してこういう丁寧な方法をとることは、そのものとの距離感がリセットされて気持ちがいいです。目に見えない世界とのお正月のような気分です。 
目に見えないものを、信じてみたい方は、お盆や、ふと亡くなった方を思い出したり、近くに感じたりした時には、その亡くなった方に向かって心の中でこんな言葉を投げてみるといいと思います。
いつも見守ってくれていて、ありがとうございます。今日は、その証拠をください」と。そして、直観で受け取ったものを心に留めておきます。「バナナ」等、はてな?と思うことであっても、受け取っておくと、次の日、次の週に証拠として、バナナが空から降ってくるかもしれません。そうしたら、ああ、祖母は本当に見守ってくれているんだな、と信じるしかない気がしてきますよね。
人生に新鮮な体験があることに幸せを感じます。
みなさまも、新鮮なお盆をお過ごしくださいませ。
 
 
あかね