あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

恐れを手放すワーク

みなさん、こんばんは。

今夜は3kmほど走ってきました。運動は気持ちいいですね。夕方からブルース・モーエンメソッドのレベル3でやる、恐れを手放すワークをやったのですが、そうしたら、俄然自由を体感したくなり、走りに行ってしまいました。最初は、自己の側面のリトリーバルをしようと思って、準備プロセスを始めたのですが、恐れを手放すワークをした方がいい気がしてきて、変更しました。私はグル?みたいな男の人がとにかく苦手なんですね。多くの人がいいと言っていると、余計に会うまでためらってしまう傾向があります。それが、このワークをしてみたら、南米で部族のために生贄に出された話が出てきて、ガイドから証拠の品ももらって、耳にした名前をネットで検索してみたら、エチオピアあたりな気がしました。インカ帝国の前って感じで、すでに死んだ状態なのか生きていたのかわかりませんが丘というか山間の草のあるところに置かれていて、長老のような男に一言言われる場面が見えました。そうしたら、涙が、、。起きた状態で夢を見ているような感じですよね。その言葉自体でなぜ涙が出てくるのか最初はわからなかったのですが、だんだん、物語が読めてきて、自分の今ある思考パターンや怖れの理由がわかった気がしました。リトリーバルしましたし、この話を見て涙した、というだけでも、大いに今この恐れと向き合えたことがありがたかったです。

人は何をするために今回のやり直しの人生をもらったのか、生物の個体として終わりが設けられた世界で、どうこの体を使っていくのか、何か感じたら、行動に移さないと残り時間は少ないことを強く感じました。そして、この体がある世界ではたくさんの愛を感じられる機会が用意されているんですね。酸素も薄くならないと、酸素のありがたみは感じにくいですし。濃淡を感じやすい、愛の世界です。

愛を求める芸術家が作った作品が何か惹きつけるものがあるように、愛を求める人が作った方法、道具というのには、やはり惹きつけられます。作られたものというのは、それを作った人がどんな人であれ、何の為に作ったのかという点での真剣さが受け取る側に伝わるものなんだと深く思いました。

なんのこっちゃ?って感じになってしまいましたが、やっぱりブルースのワークはよくできているなあ、とブルースへと、今まで出会ってくれた人たちへの感謝の気持ちと、明日への活力が湧いた今日でした。

みなさんも、どんどん行動なさって下さい。やっちゃえばいいみたいです。

明日も輝く一日に!

あかね