あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

対話篇

みなさん、こんばんは。

今日は5km走ってきました。ここ最近で気づいたことがあったので、その話を。

最近読んでいる本が対話形式で書かれていたんですね、それを読みながら、プラトンの対話篇を思い出していたんです。対話から導かれる答え。それと並行して、ある人とメールのやりとりをする機会に恵まれまして、これも対話だなあ、と。

最近は、手紙を書くことも減りましたし、自分の思いを語ったり綴る機会は少なかったので、結構真剣に自分の本音と向き合う機会になったのです。そんなことに付き合ってくれる人がいるなんて、信じられますか?とってもありがたい気持ちになりました。

村上春樹の新作のタイトルに「イデア」って単語が入っていますが、イデア論とか、昔はなんのこっちゃ、と思っていたというか、天にある概念をこの世にそれとして表現する、というようなことの意味がよくわかりませんでした。でも、今はそうだろうな、と思うし、イデアという言葉が脚光をあびて、古典がもっと古典らしく広がっていったらいいな、と個人的に思いました。

古典は、模倣するに値するもの、というような意味で、古いってことじゃないんですよね。そして、模倣するというのは、人間の学習の基本の第一歩。赤ちゃんには、見本を見せてあげるのがいいそうです。そして、やり方を紐解くような教え方をしてしまうのではなく、見せて真似させるのがいいそうなんです。それによって、こどもは、自分で見ながら考えるということを覚えて、いろいろなことを身につけたり、挑戦したりするようになるそうです。解説がまずあって、の教え方をすると、解説がまずないと、やり方がわからない=できない、と思って挑戦できない人になってしまうそうです。勇気を育てることにも繋がるので、大事なことだそうです。

子育てを見せてもらうと、いろいろと勉強になります。こどもって、かわいいですね。

紀元前の人たちが、普通に持っていた第六感のような感覚も使いながら今を生きる。あの時代の人たちの炭素もどこかに混ざっているのだし、あの時吐いた息も形を変えてどこかにある。そう考えるととてもロマンチックで、私は生かされてるんだなあ、と思ったり、活かしたいなあ、と思ったり。

みんなに手を貸してもらいながら、しっかりと歩めますように。そんなことを思った今日でした。

おやすみなさいませ。

あかね