あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

鯉の悩み

みなさん、こんにちは。

今日は今朝ハッと気づいた話です。

私は、ヒーリングと名の付くクリアリング、リトリーバルと呼ばれるクリアリングをクライアントさんに一緒にしていきましょう!という立場でありながら、よくよく考えたら長年、ひとつ気に掛かり続けていることがありました。そしてそれは、自分が自立した時に解消されることなんだろうなあ、となぜか横に置いてあって、クリアリングのテーマに一切あげたことがありませんでした。時々、ある人のことを思い出して、どういう意味があったんだろうか、と考えることがあったのです。でも、またまたよくよく考えてみたら10年以上経っていて!それは、横に置いておくのが当たり前になっちゃったのかな、と。

このテーマでクリアリングをしてみて、何か変化が訪れるのかはわからないけれど、どうして今まで気づかなかったんだろう?と思いました。もう、変化を受け入れられるようになったから、ようやく気付いたのか、なんなのか。

小さなショックを受けることって数か月に1回くらいありまして、そういう時には、客観的に見て、そういう人が自分のところに来てくれたら、どうしていきますかね、と思っていろいろ考えられるわけなんですが、このことには全く気づきませんでした。

靴の中のデザインだと思っていた違和感が、大きい石だったかもしれません、笑。走っている時にはわからないんだけれども、一休み、と思って歩き出したら、気付くというか、そんな感じだったので、これは嬉しいです!

宇宙で鯉だった過去がクリアリングされるのか、中流貴族時代か、宗教施設にいた時か、いずれにしろ、日本人時代ではない時の記憶があがってくるのかな、笑。

以前はこんなファンタジーのような話をすることにとても抵抗があったのです。でも私が、「人間は記憶を作るために生まれてきた」と思うようになって、「記憶を作り出す」ということが唯一できるのは「今、ここ」という場で、そこを人は懸命に生きているんだと実感するようになりました。

そして、悩みを持ったり、どうもうまく自分を表現できないと思う人をパワフルに手助けしてくれる存在、仕組みを知りました。それは非物質の存在、世界で、それをひとに伝えるには、こういう話をしたら、ひとはどう思うのだろう?、と気にするより、発信していくのがいいのかなあ、と思えるまで覚悟が決まってきました。

振り返れば、小学生の時から超能力とバレーボールとダンスにはまり、中学生の時にはサイババ、高校生の時にはradiohead、まあ、こんな現在を、よくよく振り返ってみれば納得の延長線上ですね、笑。時間と空間を意識させるものがとても好きでした。あの、小中学生時代のレシーブの感覚というのは、スローモーションになるというか、ああ、今思ってもよい経験でした。

いろいろな人が自分の表現したいことを表現できる時代、弾圧する人ももちろんいるわけですが、私が思う事は弾圧されるに至らないのが有難いです、笑。ファンタジックであろうが、恥ずかしがる事無く、表現してみようかな、と思わせてくれたのは、そんな表現を先に見せてくれていた人たちのおかげです。あの突き抜ける自分を信じている気持ち、信じたい気持ち、表現にこれからも鼓舞されて私もできるところまで進みたいと思います。

あの紺色の鯉はどこまでいきつけるのか。人生あっという間かどうなのか、騒がず、急ぎたいと思います、笑。

now here, nowhere ふと思う度、ビートルズ様様、と思います。

 

あかね