あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

夏もあと少し

みなさん、こんにちは。

先日は、死後探索のワークショップを行いました。出会いをいつも有難く思いますが、今回は、自分のガイドに関する情報を参加者さんが持ってきて下さり、本当に、こういった体験は面白いと思いました。

はたから見て、同じラベルを貼れる事って、沢山ありますよね。なんでもラベリング時代ですので。でも、生きている人は、それぞれ固有の人生を送っていて、それぞれの美しい調べになっているんだな、と強く感じました。くくられる時って、大抵どうでもいい、カテゴリーですよね。

みんなが、それぞれの人生を恥ずかしがらず、響かせていけば、この世は本当に美しい世界だろうなと思いました。

非物質の存在と共にある、意識の存在だと自分の事を思ったり、ひとの事を思ったりすると、奇跡(まだ科学的に証明されていない、というだけ)と呼ばれるものに遭遇します。感動があるわけですが、不思議だなあ、とも思いました。証明されていない、というだけですが、その方が解明されているものに比べてひとは感動してしまうという事が。証明されていない事の方がよっぽど多いのに、日々こんなに感動がないなんて。もしくは、証明されるたび、感動は減っていくのだろうか、と。証明する喜びってなんだろう、と思いました。人の役に立てることなのか。真理と呼ばれるものに近づけることなのか。人間は好奇心でできているからなんですかね。

そして、ブルース・モーエンが、いかに普通の感覚を持ち続けている人なんだろう、と感動することもありました。愛すべき、というか、本当にこの人は凄いなあ、と思ってしまいました。このメソッドでサイキックが開く人もいて、そうともいえるわけですが、お伝えしている事はそこではないのが、本当にいいメソッドだと思いました。人はサイキックであるから凄いわけではないんですよね。サイキックをどう使っているのか。読み書きそろばん、に代わって、読み書きそろばんプログラミング、時代だと思いますが、更に、読み書きそろばんプログラミングにブルース・モーエンメソッドとなったら、世界は変わるだろうなあ、と思いました。日常ではプログラミングがわかっている人たちのアドバンテージをよく思うのですが、それも日常の中でどう使っていくか、ということで、ブルース・モーエンメソッドで得たものをもっと使っていきたいと思いました。

そんなことを思っていたら、偶然「動中の工夫、静中に勝ること百千億倍す」という白隠禅師の言葉に出会いました。この言葉に対する解釈は二つあるようなのですが、その両方に私はとても惹かれます。仏教は宗教に哲学が入っているので、やっぱり興味深いです。そして、あることを調べていたら、百丈懐海禅師という人の存在が出てきたのですが、この字面を見ただけで、涙が出てくるという謎の現象が、笑。謎の現象が起こるたび私は、自分という存在から、より自由になれているんだな、と嬉しくなります。

非物質の世界に触れることも含め、自然や人の中にいて、自分を再教育しているわけですが、自分でも自分を育めるようになったことが本当に嬉しいです。人生って楽しいですね。

最近、キネシオロジーや他のものを学んだり、秋にもひとつ控えているものがあって、とっても楽しいです。ここで学んだものを日常、セッション、ワークショップの中で使っていけるというのが、とても嬉しいです。小学生の時からこんなことがわかっていたら、もっと楽しく学んだだろうに、学ぶものは全てを日常で使っていけるのですね。使うことが大切だとようやく知りました。

みなさんも、残りの夏も十分に満喫なさって下さい。

あかね