あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

自然体の仕組み

みなさん、おはようございます。

最近、ヒプノセラピーを少し学び始めて、今までよくはわからないけれど、何か引っ掛かっていたものが、するりとほどけ始めました。概念をひとつ持つことで、今までの体験、経験が整理され始めています。

ブルース・モーエンはこう捉えている、このヒプノセラピーではこう捉えている、というのが見えてくると、共通する事や、少し異なる解釈があることで、自分がどんな風に考えているのかに気付けます。

そんな事を思っていると、自分の体験、経験をよりビビットにさせてくれるのが、過去の自分であるところの他者の存在だとつくづく感じています。ヒプノを学ぶことで、自分が分類されたり、既にその知識がある人にはレッテルを貼られるんじゃ、まだまだ癒されていない人物だと思われるんじゃ、と怖れも感じたのですが、そんな不安は不要であったと、少なくとも近くにいるセラピストの人たちからはそう実感できる出来事がありました。そして、癒すというのは新しく自分に気付いていくことで、その変化は何よりも自分で実感して楽しめるわけです。育てている野菜が成長の過程で姿を変えていくように、自分でそんな変化を起こして、そして観察できる、というのは、人間だけの面白さなんだろうなあ、とまで思い始めました。

ヒプノセラピストは他者といる時、その時を楽しく共有する、という事に目を向けるようになる職種の人ではないかと思います。クライアントさんが、何かを解決の方向へ、と思っている時は、クライアントさんと対峙し、解決へ向け寄り添いますが、目の前の相手がクライアントさんでない時は、ジャッジしないため?に、というわけではないでしょうが、分析することから離れたくなるのか、相手を分析する事をしないのであれば、もう、その人が誰だろうと、その場、時間を楽しむしかないわけです。その人がどんな人か、という事に意味がなくなるといいますか。

とても面白い現象だと思いました。そして、これって、とっても自然な人間同士の付き合い方なのかもしれないな、と思いました。

自分を知ることは、とても面白いし、楽しいですよね。自分を他人の目に晒していくというのは、勇気がいることもありますが、他人に暴かれるのではなく、自分で表現して生きていく、積極的に表現して生きていける、ってとても幸せなことだと思います。その時に、観る自分、観られる自分、観られていると思う自分の三人が、最高に調和した時、他人がいることの影響がない、いわゆる、自然体の自分でいられるんだろうなあ、と思います。そういった意味でも、まず表現することは大切ですよね。自然体風、な人は沢山いますが、自然体の人って少ないですよね。私もいつか、あんな人になりたいなあ、とまた、憧れを再認識したので、そんな恥ずかしいことも表現してみようと思いました。

今日から、脳のキネシオロジーLEAPのための勉強が始まります。頭に無理やり詰め込む今を楽しみたいと思います。学生時代勉強していないと、勉強する事が新鮮で、新鮮で、笑。ここから楽しいひと月になりそうです。

今日も皆さま、お健やかにお過ごしください。

あかね