あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

畑の話

今日は、畑で気になっていた木になっている実がナツメだと分かって、収穫してみました。

食べてみたら、美味しくて!!これは、サワーサップ以来のヒットです。

皆さんも、木を植えたいと思われたら、ナツメの木お勧めです。

味は、林檎の美味しさと洋梨の美味しさを3倍に濃縮したような味です。いつから実がなっていたのかわかりませんが、これからは毎年楽しみです。こんな木があると把握していなかったので、今年林檎の木を植えてみたんですよね。林檎はいつから実がなるかわかりませんが、それまでもナツメで毎年越せそうです。

畑は今年の暑さで、カナブンをあまり見かけず、イチジクが無傷で完熟したり、落花生が絶好調に育っています。出遅れた大豆は、全く芽が出ず、、という。発芽には温度が高すぎたんでしょうか。もう少し涼しくなったら、もう一度蒔いてみようかと思っています。ウリ科も例年と様子が違っていて、かぼちゃがボンボンなっていたり、スイカがとっても甘くできていたり、白瓜が硬かったり。野菜毎に好きな環境があるんだなあ、と人と同じように感じます。

人間も自分という意識が発生しているだけの生物なので、植物を見ていると似ているところが見つかって、より一層生き物なんだなあ、と感じます。

今日は他にも、カマキリを沢山見かけました。この夏初めてです。バッタは美しい、って感じですが、カマキリは何かを発してる感じで、似てるけど、全然違うんだなあ、と感じたり、小学生気分です。

子供の頃には、虫に興味はありませんでしたが、今になって、子供が虫に夢中になるのがわかる気がします。自然って本当に面白いですね。目に視えないとされている光も見えるようになったら、蝶々の美しさだとか、もう色々とんでもないのでしょうが、視えなくてもそれを感じられるんだってことに気づいてきました。

目の前のテーブルも脳内映像、亡くなっている人も、思い浮かぶものも。だから例えば、昆虫のように紫外線や他の光を捉えられるようになれば、亡くなっている人を目の前にいるように視れたり、触れたりできるって事で、本当にこれは練習と工夫で手に入れられる技術なんですよね。

それには、自分、「私が」という制限を作る意識を発生させないようになればいいわけですが、この「私(だけ)が」という、全体の一部ではない単独の「私」をこの時代の人たちは作り出しやすいので、昔の人のように簡単にはいかないのかもしれません。でも、技術なので、おとぎ話のような聖人でなく、日常で他人を尊重しない、信頼しない、依存する、としていても、この技術は特訓すれば手に入れられると思います。ただ、感覚をつかむのに、近道はあると私は捉えています。

脳の仕組みを知ると、不思議がいっぱいで、五感を使って過ごせる今が奇跡だというのを実感します。奇跡なんて、一生に一回の事かと思っていましたが、週に一回はありそうです。助けた蝶々が追いかけてきたり、今日も、海に行きたいなあ、って思ったら車のナビが海の上を走っていたり!

五感と意識で私たちはもっと自分を素直に見守れるようになるんだと思います。リラックスして気持ちに素直に行動して、寝る時も、目覚める時も安らか。こんな毎日が本来の自然体の毎日かもしれません。そして、それは手に入る毎日です。

皆さんも、自然との接点大事になさってみてください。

あかね