あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

3/21

少し前に妹からマヤ暦のサイ時間というので出すkinが面白い、って話を聞いて、そこから辿り着いた方のブログが自分との対話だった。だよね。と思う。

今、日記を書いていて、自分では人生で一番続いてるんじゃないかと思う。ただ、インスタで始めて、続けることしか考えてなかったから、読んで、爆死。ヤバすぎるのをアーカイブに落として、今、全部を消すか悩み中。だけど、本当にすごかった。本当に自己否定が消えていく、、、、恐ろしいツールです、、、。そこからアメブロに移行してみたけど、あそこはこんなふうには書けない場だってこともわかって、言えないけど、面白いことがいくつかあった。ここは今後完全なるdiaryになっていくと思われます。このブログ立ち上げた時によくつけたな、あちらとのdiary、と思った。知らず知らずに、こういうタイトルみたいなものが、初めから全てわかっていた感がすごい。そういうことが、ああ映画なのかもしれないな、って更に思わせる。

あちらは、今日の私をめっちゃ楽しんでくれてるってわかってるから、この肉体次元のこちらの私に対して、あちらの私がいいよの連発、可愛いねの連発、それを受けての日記となると、もう落ち込むとかって、恐ろしく減る。すごく自分にとって大事なことは30分とか気を揉むことがあったとしても、夜には持ち込まない、って決めてるから、この決めてる覚悟もすごいよ本当に、笑。尊敬する気持ちって、すごい。本当に感情の継続時間が短くなるから、しーんとしてる。だからこそ、本当に細やかなところまで自分の好きを発動させていけるし、そうしないと楽しくない。

だから、あちらのことを感じすぎるのもいかがなものか。スクリーンを見てめっちゃ感動してくれてる観客を意識し過ぎていたら集中できないような感覚。でも逆を言うと、毎日ほぼ涙していて、ここにいることの貴重さがとんでもないことになっていて、あちらからの暖かさを感じて、意識があちらへ向くと、今感じてるこのエネルギーはこちらみたいに直接感じられない亡くなった全ての人、一部の人が、私を介して感じてるのか!?って思っちゃうと切なくて泣けるというか。嘘みたいに、ここにいることへありがたいって気持ちで胸がいっぱいになってしまって、すぐに感極まってばかり。この前も、ココアかなんかを飲んでたら、ブワッてエネルギーが入ってきて、泣けるし、これをまた客観視してる肉体の私がこんな小さいことで?って可笑しくて笑っちゃう、みたいな、運転席で涙出る率が2日に1回くらい。情緒不安定だよね、笑。

今は、まだ不慣れであちらよりになってるからここまで感極まっていて、いずれ慣れたら、もう少し落ち着くのかなあ、と。

・自分の好きを見つけて、行動

・日記書く

・違和感感じた時に、その感情を生んでる信念探して信念を作った自分と自己対話

これを自分でやるだけで、こんな風になれちゃうなんて、、。

でも信念を見つけることとそこでの癒しが十分にできないな、となればセッション受けに行くだけで人生一体これまで何だったの?ってくらい軽くなる。そして、この葛藤していた時代の重さが、めちゃくちゃいい思い出になる。ここからどんな葛藤できるんだろう、ってウキウキするというか。人生いい方向にしか進んでいないって思えるって、昔の自分からしたらどんな脳みそ、って感じだから。そんな中で、やらなきゃいけない仕事が終わってないとか、そういうことは日常の中のちょっとしたスパイスというか。ここから、どこまで人の役に立てる人生になるのか、本当に楽しみ!!