あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

2.2

さっき、ふと西村賢太がもういないんだ、と思った。

あれはいつだっただろう?とwikiったら昨年の2月5日に亡くなっていた。この肌寒さが記憶していたんだな、と思うと同時に、目の前が光った。最近、光で受け取る機会がとても増えている。知覚のパターンが変化している。

ハイヤーセルフを知覚することがなくなった。肉体の意識にひとまとめすることを意識しているから。この世界は循環していて、上下の定まった停滞した世界ではないから。

自分の上に何かを置く時、無意識の時間帯は上においたものを自分が必ず纏っている。そして、意識的にいたとしても。下手したら無我になるくらい集中している時も全ての時間において。

だから「私」どころか、他人を上に置くというのは、今の私からすると考えられない。曇る。

 

ひと月横になっていた。そして確信したのは、本当にタイミングが整えられているということ。全てはシンクロニシティだということ。

そして、この期間に気づいたのは原罪について。原罪が何をさすだとか考えたことがなかったのか、考えたことはあったけれど気づいていなかったのか。原罪とは◯◯です、と言える。無原罪で生きる、生きたらどうなるんだろう、と考えた。今年は無原罪で生きる。

今、神について気づきがあった。嬉しい。

昨日の朝、新しい朝がきた、と目覚めた瞬間感じた。昨日から今年が始まった感じ。今年は本番の年になる。