あちらとのdiary

わたしが私に還る記載の場

20241107

今日もやることに溢れた1日だった。そして、やっぱり子どもと遊ぶのは楽しい。柿を持って、スキップのような謎のステップを踏みながら「柿、柿〜」と祭りのねりのような掛け声を掛け合いながら家の中を何周か回る。子どもとだからできること。

ひとつセッションもした。どうなるのか楽しみでありつつも、セッションしたんだから変化する、という点については疑いが全くないことが、過去の自分と変化したこと。変化の過程が興味深い、という感覚。前回のセッションからの変化に大変驚きながら、自分の変化を「どうしちゃったの?私」と、変化に気づく度楽しんで下さっているというのが、嬉しかった。自分の変化、って面白いと思うから。成長しなくちゃ、じゃない、変化しなくちゃ、じゃない、ただ本来の自分に還っていくって、面白いこと。自分の再発見だから。一番面白いドラマを楽しんでいる、視聴者であり、主人公でいられる時、人生を謳歌しているように感じる気がする。

不倫している人はいくらでもいるらしいけれど、わたしが知っているのは片手くらい。そしてそういう人と、今のところ友人にはなれない、と感じていると気づいた。それなら、まだ買い物、食、への依存症の方が友人になれる、と思った。パートナーシップというのは結局自分との関わりで、自分の全部を受け止める気がない人がするのが不倫だと思ってるな、と気づいた。何かを熱心に信仰しそれで生活が逼迫している人と不倫している人は何か似ている気がする。不倫している人で1人平気な人がいるが、それは男だからな気がする。

わたしは、自分の全てを受け止める気がある人と友人でありたいらしい。それと同時に自分がどれだけ寂しがり屋なのかがわかった。そして、そんなことはある占いにははっきり出ていて、そこには、だからこその対処方法まで出ていて、驚いた。こんなことをもっと早くから知っていたら、毎回陥るあのパターンは神様からのプレゼントでしかなかったのか!と。面白い気づきだった。それと同時に気づいたからこそ、わたしはそんな自分と分かって対応してくれる人といることが自分を大切にしていることだな、と思った。

昨晩のKとのやりとりはとても充実していた。月に一度くらいの頻度でZoomでやりとりし、自分が言うことを実践してくれていた。ビジネスで結果を出してくれたことは嬉しかった。大切なのはエンジンオイルだ。そして、先月の新たな出会いで学んだ、気持ち、についての話が通じたことが嬉しかった。わたし達は着実に還ってる。ここを忘れないことだ。

2.2

さっき、ふと西村賢太がもういないんだ、と思った。

あれはいつだっただろう?とwikiったら昨年の2月5日に亡くなっていた。この肌寒さが記憶していたんだな、と思うと同時に、目の前が光った。最近、光で受け取る機会がとても増えている。知覚のパターンが変化している。

ハイヤーセルフを知覚することがなくなった。肉体の意識にひとまとめすることを意識しているから。この世界は循環していて、上下の定まった停滞した世界ではないから。

自分の上に何かを置く時、無意識の時間帯は上においたものを自分が必ず纏っている。そして、意識的にいたとしても。下手したら無我になるくらい集中している時も全ての時間において。

だから「私」どころか、他人を上に置くというのは、今の私からすると考えられない。曇る。

 

ひと月横になっていた。そして確信したのは、本当にタイミングが整えられているということ。全てはシンクロニシティだということ。

そして、この期間に気づいたのは原罪について。原罪が何をさすだとか考えたことがなかったのか、考えたことはあったけれど気づいていなかったのか。原罪とは◯◯です、と言える。無原罪で生きる、生きたらどうなるんだろう、と考えた。今年は無原罪で生きる。

今、神について気づきがあった。嬉しい。

昨日の朝、新しい朝がきた、と目覚めた瞬間感じた。昨日から今年が始まった感じ。今年は本番の年になる。

3/21

少し前に妹からマヤ暦のサイ時間というので出すkinが面白い、って話を聞いて、そこから辿り着いた方のブログが自分との対話だった。だよね。と思う。

今、日記を書いていて、自分では人生で一番続いてるんじゃないかと思う。ただ、インスタで始めて、続けることしか考えてなかったから、読んで、爆死。ヤバすぎるのをアーカイブに落として、今、全部を消すか悩み中。だけど、本当にすごかった。本当に自己否定が消えていく、、、、恐ろしいツールです、、、。そこからアメブロに移行してみたけど、あそこはこんなふうには書けない場だってこともわかって、言えないけど、面白いことがいくつかあった。ここは今後完全なるdiaryになっていくと思われます。このブログ立ち上げた時によくつけたな、あちらとのdiary、と思った。知らず知らずに、こういうタイトルみたいなものが、初めから全てわかっていた感がすごい。そういうことが、ああ映画なのかもしれないな、って更に思わせる。

あちらは、今日の私をめっちゃ楽しんでくれてるってわかってるから、この肉体次元のこちらの私に対して、あちらの私がいいよの連発、可愛いねの連発、それを受けての日記となると、もう落ち込むとかって、恐ろしく減る。すごく自分にとって大事なことは30分とか気を揉むことがあったとしても、夜には持ち込まない、って決めてるから、この決めてる覚悟もすごいよ本当に、笑。尊敬する気持ちって、すごい。本当に感情の継続時間が短くなるから、しーんとしてる。だからこそ、本当に細やかなところまで自分の好きを発動させていけるし、そうしないと楽しくない。

だから、あちらのことを感じすぎるのもいかがなものか。スクリーンを見てめっちゃ感動してくれてる観客を意識し過ぎていたら集中できないような感覚。でも逆を言うと、毎日ほぼ涙していて、ここにいることの貴重さがとんでもないことになっていて、あちらからの暖かさを感じて、意識があちらへ向くと、今感じてるこのエネルギーはこちらみたいに直接感じられない亡くなった全ての人、一部の人が、私を介して感じてるのか!?って思っちゃうと切なくて泣けるというか。嘘みたいに、ここにいることへありがたいって気持ちで胸がいっぱいになってしまって、すぐに感極まってばかり。この前も、ココアかなんかを飲んでたら、ブワッてエネルギーが入ってきて、泣けるし、これをまた客観視してる肉体の私がこんな小さいことで?って可笑しくて笑っちゃう、みたいな、運転席で涙出る率が2日に1回くらい。情緒不安定だよね、笑。

今は、まだ不慣れであちらよりになってるからここまで感極まっていて、いずれ慣れたら、もう少し落ち着くのかなあ、と。

・自分の好きを見つけて、行動

・日記書く

・違和感感じた時に、その感情を生んでる信念探して信念を作った自分と自己対話

これを自分でやるだけで、こんな風になれちゃうなんて、、。

でも信念を見つけることとそこでの癒しが十分にできないな、となればセッション受けに行くだけで人生一体これまで何だったの?ってくらい軽くなる。そして、この葛藤していた時代の重さが、めちゃくちゃいい思い出になる。ここからどんな葛藤できるんだろう、ってウキウキするというか。人生いい方向にしか進んでいないって思えるって、昔の自分からしたらどんな脳みそ、って感じだから。そんな中で、やらなきゃいけない仕事が終わってないとか、そういうことは日常の中のちょっとしたスパイスというか。ここから、どこまで人の役に立てる人生になるのか、本当に楽しみ!!