あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

2/18

兪穴の調整をしていて、気づいたことがありました。

過去の記憶は、その持ち主が誰でもいいのかもしれないということです。記憶の持ち主は、記憶にとって単なる場に過ぎません。

過去世と呼ばれるエネルギーも、自分の過去も、生きた人間の中に入っていれば、その中でまだデータの書き換えが起こりえます。セッションの中で扱われるのは、そういうところでもあります。

気分良く人生送りたい人は、読み物でも何でも、触れる物語は美しかったり、ハッピーエンドに限ります。自ら、不幸な物語に触れると、脳はそれを自分のことだと勘違いして、確実に、気分の良さから遠ざかります。ただ、こんな法則も自己批判の上には成立しません。

とことん不幸な物語を読みたければ読みます。気持ちが極限まで振り切れることなしに、舵をとり直すことができない頭の仕組みの人もおそらくいるので。

ただ、無自覚にそういう事をしているのであれば、もしくは、近道したいと思っているのであれば、なぜ、気分を害するものや恐怖に触れたいのか、自分についてよく観察してみることをおすすめします。

大人と子どもの違いは、自分が好きでそうしているんだ、自分が自然にそうしているんだと、主観的なだけでなく、客観的な視点も持ち合わせていること、自分に気付いていることです。どんなに、主観的に生きていても。むしろ、伸び伸びと大人が主観的に生きるには、客観的な視点を一度得ないことには、大人は子どものような幸せの中を生きることはできないのかもしれません。

大人の視点を得ると、伸び伸びと子どもの時以上に自分の力を感じながら生きられるような気がします。

そんな意味でも、兪穴での調整は、クリアリングがすごいので、選ばれることがありますが、ここで出てきたものを何かに変えて、再利用できる仕組みを私は作ろうと思いました。

これだけ、エネルギーを抜くわけなので、後片付けも大事だなと思いました。

そして、石、本当にパワフルだということも今日痛感しました。人間の体は本当に面白いです。


2/17

未来と過去の私からすごいプレゼントが来た気がします。

先週、こうなりたいな、と思ったそんなこと。朝から伏線があっての、こんなこと。これが本当なら本当に嬉しい。

昨日、自分が一昨日とは別人のように感じられました。急な変化に一体どうしたんだろう?と感じていました。でも、その謎の安定感。今までタイジーポールは洗濯竿くらいに感じていたのに、昨日直径がゴーフルくらいに感じられて、何が起きているんだろうと観察していました。

そんなこんなで、今日を終えて、明日からがまた、楽しみです。偶然はない。一体全体誰があそこにあれをおいて、こんな体験させてくれてるんだろ。

私は本当にこの人生を終えたくないというのか、こんな体験ずっとできたらいいなと思います。不思議だらけ。死んでもすぐに戻ってきてこの感覚のまま地球にいられたらいいのにな、と思います。でも、そんなこと叶うかわからないので、今だけのこの不思議な体験をとにかく楽しみたいです。

新しい局面を迎えている気がします。繰り返し繰り返し通ってきたこの道がどこに繋がるのか、今回ここを通過してくことを自覚しているのが、新しいし、何か記録せずにはいられない気持ちです。

2/15

一昨日、腕に重いものを落として、腫れて内出血していました。今日、腕を見て可哀想と思った妹は、腕に触れてエネルギーを流してくれました。1分も触れていたか分からないけれど、青かった腕が黄色に変化。ただ、時間が少し経ったら元の色に戻っていました。一体何だったんだろ。

そして、触れてもらった時に面白いことがあったのです。

すぐにエネルギーが流れてきたのは分かったので、レイキでもいいけど「スイカ、スイカのエネルギーとか流してもらうといいのかも、、」と私は言っていました。頭の中は季節外れだな、、、冷えていいのかなあ、とか思っていました。すると、妹が、「スイカ?え、、」と見ていた携帯の画面を見せてくれました。そこには、、スイカのイラストが、、。それか。

人の頭はすぐに意味づけしますが、そこに整合性があるようでも、その解釈は慣れ親しんだ知識、記憶によって作られたにすぎません。

冷えるからかなあ、と思ったのも後付け解釈。ただ妹の情報が私に入ってきただけでした。この体験には懐かしい感覚がありました。

イカが浮かんでから、流してもらうといいのかな、、季節外れだけど、、冷えるからかな、、っていう思考が浮かぶまでのタイムラグの感覚が、BMMで知覚者の知覚なのか解釈者の解釈なのかに気づくために体験を細切れにする練習をしていた頃の感覚と同じで、とても懐かしかったのです。

このタイムラグが、、タメの時間というか、この感覚がたまらない、笑。なんなんだろ?空っぽの瞬間というのか、溜の瞬間というのか、スローモーションを見ている時に何も動きはないんだけれど、ああー来る!!みたいな、笑。この感覚は本当に些細な感じで、全然大きいものでもないんだけれど、本当に大好きで、みんなにとってもやっぱりいい瞬間なのかなあ、って。繋がる瞬間とも言えるかもしれないけれど。

天海祐希がドラマのエンディングでダンスを踊っているんです。この踊りが、、、カウントの取り方なのか、何かがダサくて初めて見た時に、見てられない、って思ったのです。ただのダンスなのに、特に興味もない人なのに。こういうのって、何かが潜んでるんですよね、笑。で、何が引っかかるのか何度もネットで再生していたら、この人は溜るし、どう見せるのか、っていうのが分かってるというのか、ああ、宝塚ってこういうことなのか、と勝手に少し分かった気になりました。そうしたら、急に、ダサいと感じる部分の感覚は変わらないのに、かっこいい部分も見えてきて、結局、頭でそのかっこいい動きが再生できるくらいの回数見てしまいました、笑。そのかっこよさが、まさに、繋がる瞬間と同じものを感じさせてくれるんですよね。宝塚ってことなのか、天海祐希がなのか分からないけれど、自分に向かってるだけじゃなくて、ファンの目を認めてくれているというのか、この世界は自分だけでもいいんだけど、他者を許容してる、その視点があるというのか、ああ、すごいな、って。これは、ファンになる人がいるんだな、って。「私は最高だけど、あなたもいい感じだよ、最高だよ」って感じ、どんな感じ??笑。だから、私が見てられない、って最初に感じたのは、ダサさと共にあるかっこよさを受け入れることだったんだな、って。苦手の理由って、細かく見てみないと見誤っていることがあります。それくらい、人の論理っていい加減。

自分の日常の思考や瞑想中の知覚情報に対して、細かさを持つこと、丁寧に検証すること、しっかり見ること、ただ見る。ただ見る。それがあり方の最たる姿。そして、それは確実に本当の自分を再発見すること、自分の力を思い出させてくれるなあ、と。

体に触れると、どの経絡調整するのか筋反射取らなくても感じられたり感覚がどんどん研ぎ澄まされていて、これはどこに向かっているのかは謎のままだし、キネシのセッションでは筋反射取るので、この力は使わないけれど、他のところでは使っています。結局キネシのセッションでも何でも、私たちはロボットのように共通の前提で何かを行うことは難しいから、直感の取り扱いも人それぞれ、自分が好きなようにやっていけばいいんだってことに、超〜〜〜〜納得している今日この頃です。

変化って自分で感じるものだから、他人にあなたは変わった、変わらないって言われても何も関係ないんです、自分には。もうしょうがないよね、笑。これで好かれたり、嫌われたり、ってどうでもいいな、って。私には自分の感覚を無視することがもうできないから。

自分を楽に生きること、BMMではいい道具を取り揃えています、笑。後は使い方次第。

この全ての時間があのたまらん瞬間、空間にサンドイッチされている。呼吸の間を感じて生きられる、そう感じて目を閉じるだけで、私は体が一気に重くなります。脳波を変えるというのか、金縛りみたいに、体をリラックスさせるのにどんどん所要時間が短くなって、ついに、2秒まできました。数年前までは数分かかっていたのに。

リラックスが歓びを運んできてくれる、このことを何となく掲げていたけれど、最初にいつもゴールは知っているんだな、と再び感じた今日でした。

人との出会いって、なんて素敵なんだろう。知りたくなかった自分を知って、自分を広げて、何でもなくなって、どんどん自分を知る出来事が起きていく。

自分の行動範囲では出会わない人たちにセッションを通して訪ねてもらえたり、脳と思考とエネルギーの仕組みがすごく分かる、とっても面白い仕事を選んだなって思います。でも、みんな自分で解消できるってことにここからもっとフォーカスしてワークショップやっていきたい気持ちが湧いています。みんなで自分にとことん取り組むって楽しいから。

そして、日常を分かち合える人がいるって、いいなって。これほど、自分を知ることができる相手はいないから。嫌いな内は離れない方がいいと思います、笑、飽きたら離れたらいい、自分を知りたかったから、心底自分を楽しみたかったら。この他人との仕組みを大いに使えるチャンスです、パートナーがいるって。嫌なところって、全部自分だから。

どんどん自分が自分にとって面白い存在になっていく、ウケる、が口癖の私は、そんな人生を思い描いて生まれてきたのかもしれません。

サンドイッチが食べ物としてではなく、存在として大好きだったのも、呼吸の間、繋がる瞬間の感覚と同じだと知っていたからかもしれません。今年は、サンドイッチみたいな瞬間を沢山感じていけたらいいなあ。

ああ、他人がいる世界に生まれて本当にしあわせです。