あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

春ですね。

皆さんにも、自然の豊かさが沢山届いていますように。私は春を沢山感じています。

ここ数日、ハートの軽さと直感が別人のようになっていることに気づきました。

今まで、意識の探索やセッションを通して体験として、人という存在についていろいろな捉え方をする機会に恵まれてきました。その中で気づきを得る度、視点を得ていたわけですが、それを自分の言葉で理解に至るような論理にする事は出来ずにいました。感覚でわかるけれど、それを人とは共有できずにいました。それが、エリンの奇経八脈に対する仮説のダイジェストを聞いているだけで、ああ、それ、ああ、それと頭の中でも整理されました。

そこから、エリンのセッションで、二つのメッセージを繰り返し受け取りました。

そして、セッション後の怒涛の体験を経て、落ちついてから、あのセッションで感じた事は何だったのか、それについてはやはり、頭で理解したい自分がいるので、セッション中は考えないようにしていましたが、還ってきてからは、何だったんだろう?何だったんだろう?と頭を巡り、あのハートの感覚は何だったんだろう?と。そして、いくつか考えが浮かび、それらはエリンがクラスで語っていたことをセッションで体験していたんだと。意識の世界と自分が現実と感じるこの世界の境を体験していたことがよくわかりました。そして、この世界がどう作られているのかを言葉だけでなく体験できた、その感覚なんだと。

それから、セッションでの意図を変更したところ、今までにないことが起きるようになりました。私の目の前で横になっている人の反応が今までと異なるだけでなく、立っている私の感覚も全然違うのです。意図を変えてから、5回ほどセッションをしたのですが、セッションする度私の意図、信頼もどんどん確信に変わってきているので、仕事中ではない時には、まず探索モードにしようと思うことはないわけですが、直感でパラパラ情報が入ってきたり、見えない人がいたり、流石に急な変化に一晩怖くなりました。

でもそんな体験から、また世界の仕組みを教えられるわけで、翌朝には宇宙って、ソースって本当に諦めないんだな、法則だけを徹底して体験させてくれるんだな、と怖さを超える視点を与えられていました。

私にとっては、この宇宙の法則のもとにあることが、私の全てで、それを誰もが体験していて、そして誰もが使う「私」という言葉は、それが信頼と感謝を呼び起こすもので、それがソースなんだと確信しています。今の私にはこれが答えです。12歳の時に、私は誰なのか?ではなく、「私」って何なのか?と疑問に感じてから、漸くすっきりとした答えが出ました。

そうしたら、今までとは感情の出方が全然違うのです、パッと嫌な気持ちを感じるし、パッと喜びを感じるし、すぐに涙が出てくるし。そしてハートが軽いのです。今まで、右にハートがあるとよく感じていました。胸が痛くなる時はいつも真ん中もしくは右側がグッとなっていたので。それが、今そのスペースに気を向けると、ほんわかしたものを感じるのです。そして、ハートと思うと今は真ん中で面白いことが起きています。更にハートに意識を向けたら、細長い、爪楊枝か針のような穴が続いているように感じるのです。これは、また機会を作って探索してみます。

今ある、この五感を使って、人と繋がって自分を生きていくための時間をもっと楽しみたいと思います。

同じように感じる方は、是非、会いにきて下さい。セッション、ワークショップ、お気軽にお問い合わせ下さい。どうして、自分がこういう仕事も選んだのか、心から受け止められるようになった気がします。

これまでの出会いに心から感謝します。

あかね

 

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