あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

見る、見られる

みなさん、こんばんは。

今日は、姪とお正月ぶりに会いました。かわいい!

そして、2歳にもなっていないのですが、私が話しかけている内容は分かっていそうだし、誰と何をどうした、ってことを楽しかった時なのかな?何かしていると、場合によって、すぐに笑顔で伝えてきます。

こぼした水を一緒に拭いたり、ゴマをすったり、大人に好評ではなかった、酢の物をパクパク食べてくれたりするたび、姪のかわいさがmaxです、笑。そして、ああ、自分をこんな目で見てあげられるようになりたいな、と思います。

ガイドは一体どんな目で私の事見てるんだろ?私が見ようとしている世界をどんな風に見せてくれようとしているんだろう?と思います。

見る、見られる、どう見られていると思っている、この関わりによって、その人とその周りは大きく変わりますよね。

見られていないと思って、みんなが見ていると思って、どちらでも変わらない自分でありたいと思います。ある、には程遠い、笑、正直、「ありたい」より、まだ「なりたい」か、、爆。

姪の滞在を満喫したいと思います。姉に感謝!

あかね

祖父の時代

みなさん、こんばんは。

陰暦ですが、2月15日はお釈迦様の命日、涅槃会と呼ばれる日だったそうですね。この日は、お寺さんへ行くと、七色?のすあまを頂いた覚えがあります。

今日は祖父の命日で、そちらの意味合いの方が私にとっては大きいわけですが、そんなこともふと面白いことだなあ、と。自分にとって、近いと思う存在のほうが大きな意味を持つし、それを大切にしたいと思います。9月11日、3月11日、生まれのひとが肩身の狭そうな感じでいるのを見ては、どうしてよ、と思うのと同じですね。

そんなわけで、というわけでもないのですが、最近祖父が戦争に行く前にあったエピソードなどを親から聞く機会がありまして、二代前の世代というだけで、想像が追い付かない世界を見て、そこを生きてきたんだなあと、様々な思いが巡りました。もうじき100歳になるご近所さんも、この方は痴呆の症状だとかも一切感じさせない、しっかりとした方で、乗り越えてきた世界の違いに圧倒されます。

わたしも、あんな100歳になるにはどうしたらいいんだろう、と思います。せめて、PPK(ぴんぴんコロリ)といけるように、シャキッとした気持ちを持って生活したいです。

この時代に生まれて面白かった、充実していた、と思えますように。いつの時代も、ありがたいなあ、と思って暮らしている人はいるんですよね、きっと。

ありがとう。おやすみなさいませ。

あかね

この世界

みなさん、こんばんは。

今日は、7km走ってきました、笑。グラウンディング大事ですからね、笑。

帰り道に空を見ていたら、オリオン座だとか、わかりやすい星しか分からないことがもったいないなあ、と思いました。子どもの頃は、円盤みたいなのをクルクル回して望遠鏡もあって、見ていたのになあと。

昨年の夏のブルース・モーエン来日ワークショップのレベル4で、宇宙探索をして、自分の起源を見に行ったり、宇宙の構造?というか、フロントローディングにならないように話をするって難しいですね、笑。むぅーーー。

まあ、いろいろと見てきたわけです、そして、そこで見たものたちが自分が妄想の中で勝手に作り出しているものではなくて、他の方から、同じ描写を耳にする度、自分の知覚を信じるきっかけになって、嬉しいことと、そこで知覚したものって、なんだったんだろう?って思うんですよね。ワークショップから半年経つわけですが、最近も自分が知覚したものと共通する話を何点か聞いて、わあ、と思いました。

なんだったんだろう?って思ったら、自分で想像する楽しさもあるけれど、想像するより、答えをもらいたいと思えばガイドに聞いてしまえば、一応答えをもらって終わってしまうんですよね。これを沢山の人とあーでもない、こーでもない、とおしゃべりするのが、ワークショップや飲み会でとっても楽しいんですけれど、その楽しさってなんだろう?と思ったのですね。そこで、思いついたのが、最早、宇宙を知覚した話と妄想の違いを説明はできないですけれど、一般的に見て、これが唯一の正解って考えなくてもいいもので、みんなが自分の思うことを自由に表現して、ふむふむ、って周りは話を聞いて、また他の人はどう思ったかを表現して、自分じゃ考えないような話を聞いたりして面白いなあ、ってひとの感性に感心するという、共通するものも、独自のものも、すべてOK!with fun!という場なんですよね。とっても、しあわせ。この世のあらゆる瞬間がこんな場であったら、、、と思ってしまうような場だってことでした。

最近、この世のつまらない話にうんざりしつつも、そんな場が発生しうる、素晴らしい世界なんだなあと実感する、そんなことを思うと胸がいっぱいになる、瞬間があります。なんなんでしょう。今まではそんなこと思ったことなかったかもしれないですし、ひとと生きていくと思ったことからの変化なのかもしれませんが。

「わたしがわたしをしっかり生きられますように」とふと願っていることがあります。そんな時は、ハッとします。勝手にハートの中で声にしているので。

そして今日は「ついに始まる」という声も同時にしてきました。

泣いても笑っても、一度の人生。泣くのも笑うのもどちらもいいですね。

そんなことを最近思うのに、なぜか始まらない、ちょっとヘルプを、と思う方は、セッションにいらして下さい。IHのホログラムの中で、ガイドから許可がおりれば、リトリーバルもさせて頂きます。

今夜はお布団に入ったら、ひとつリトリーバルをしてから寝ようと思います。

明日もすてきな朝をお迎えください、おやすみなさい。

 

追伸 ガイドさん

そろそろ、UFO見たいです。けっこう首が疲れてきました。

あかね