あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

第四コーナー

みなさん、おはようございます。

昨日は、面白い宿に泊まり、その破壊力に打ちのめされました。目に見えないものは存在していないのと同じ、だなんてどうしたら思えるだろうか?というような時間を過ごしました。そんな重苦しさいっぱいの部屋の中でも、ブルースの愛のエクササイズをしたら、嘘のように、その空間の空気が変わって、私の知覚が変化したのか、その部屋の中が変わったのか、どっち?と思いながら、一晩過ごしました。

そして、朝からIHの基にもなっている、Applied Physiologyの勉強をして、ランチには中華屋さんのようなお店のシャヒールカレーを頂き、その後には手作りの果物を発酵させたものを頂いたのですが、1日中丁寧に作られたものと接していて、手間暇、という言葉が浮かびました。

手間暇は、時間が存在しなかったら、存在しない言葉で、時間ってやっぱり命の入れ物なんだろうなと思いました。場が命です。魂は肉体という入れ物に入っていて、入れ物から出ても存在しますが、場は時間が無かったら、存在しないので、肉体のない世界には無いんだろうなと。そう思うと、こちらにしかない命、場について意識を向けると、自然と時間は使うためにあるんだ、と考えられてきます。

自分が使う時間=命、と思うと時間に意識的でありたいと思いました。

9月とも今日でお別れです。みなさんの今年の最終コーナーはどんな感じですか?私はイケイケと寧ろ、コイコイと言われている感じで、エネルギーの世界に突っ込んでいこうと思います。

あかね

 

秋なんですね

みなさん、おはようございます。

今日も、みなさんが元気に、元気に、一呼吸一呼吸、花が咲くように、きらきらと輝くことを祈っています。

昨日は、この世にいる人みんなが異なる視点で世界を見ている、という事は当然なのに不思議に感じた日でした。同じように隣で見ている、景色が、光景が全く異なるものとして映っていることが、かなしいようなでもそれが救いであるような、そんな事を思った日でした。

家族が増えるってどんな感じなんだろう?と想像したからかもしれません。結婚したり、子どもが生まれたり、養子を迎えたり、養子にいったり。想像する度、この心の中のハラハラはどこから来てるんだろう?と思いました。そして、花が咲くように、細胞分裂し続けながら、人間は繋がっていこうとする、というこの形態に、この儚さが人間なんだな、と思いました。

今朝目覚めただけで、私にとっては、ありがたい一日の始まりです。

昨日から関東にいますが、驚く程の寒さです。静岡は、まだ夏の雰囲気も少しあるような感じだったので、余計に驚きました。秋っていいですよね。好きな季節というより、いい季節だなあ、と思わせてくれる季節です。本当にいい季節は新緑の頃だったりするのですが。なんでしょうね。こころがいい感じの季節です。

話は変わりますが、一昨日から、自分のガイドにひとり新規で加わってもらいました。名前を聞いたら、アルファベットで「YORK」とでかでかと出てきて、あ、トムか、と思ったら、すごく笑っていて、このトムとは気が合いそうです。今ガイドが4人。何か手のひらみたいな感じで、うまくいきそうです。

皆さんも、寒さを楽しむ一日になさってください。

あかね

自然体の仕組み

みなさん、おはようございます。

最近、ヒプノセラピーを少し学び始めて、今までよくはわからないけれど、何か引っ掛かっていたものが、するりとほどけ始めました。概念をひとつ持つことで、今までの体験、経験が整理され始めています。

ブルース・モーエンはこう捉えている、このヒプノセラピーではこう捉えている、というのが見えてくると、共通する事や、少し異なる解釈があることで、自分がどんな風に考えているのかに気付けます。

そんな事を思っていると、自分の体験、経験をよりビビットにさせてくれるのが、過去の自分であるところの他者の存在だとつくづく感じています。ヒプノを学ぶことで、自分が分類されたり、既にその知識がある人にはレッテルを貼られるんじゃ、まだまだ癒されていない人物だと思われるんじゃ、と怖れも感じたのですが、そんな不安は不要であったと、少なくとも近くにいるセラピストの人たちからはそう実感できる出来事がありました。そして、癒すというのは新しく自分に気付いていくことで、その変化は何よりも自分で実感して楽しめるわけです。育てている野菜が成長の過程で姿を変えていくように、自分でそんな変化を起こして、そして観察できる、というのは、人間だけの面白さなんだろうなあ、とまで思い始めました。

ヒプノセラピストは他者といる時、その時を楽しく共有する、という事に目を向けるようになる職種の人ではないかと思います。クライアントさんが、何かを解決の方向へ、と思っている時は、クライアントさんと対峙し、解決へ向け寄り添いますが、目の前の相手がクライアントさんでない時は、ジャッジしないため?に、というわけではないでしょうが、分析することから離れたくなるのか、相手を分析する事をしないのであれば、もう、その人が誰だろうと、その場、時間を楽しむしかないわけです。その人がどんな人か、という事に意味がなくなるといいますか。

とても面白い現象だと思いました。そして、これって、とっても自然な人間同士の付き合い方なのかもしれないな、と思いました。

自分を知ることは、とても面白いし、楽しいですよね。自分を他人の目に晒していくというのは、勇気がいることもありますが、他人に暴かれるのではなく、自分で表現して生きていく、積極的に表現して生きていける、ってとても幸せなことだと思います。その時に、観る自分、観られる自分、観られていると思う自分の三人が、最高に調和した時、他人がいることの影響がない、いわゆる、自然体の自分でいられるんだろうなあ、と思います。そういった意味でも、まず表現することは大切ですよね。自然体風、な人は沢山いますが、自然体の人って少ないですよね。私もいつか、あんな人になりたいなあ、とまた、憧れを再認識したので、そんな恥ずかしいことも表現してみようと思いました。

今日から、脳のキネシオロジーLEAPのための勉強が始まります。頭に無理やり詰め込む今を楽しみたいと思います。学生時代勉強していないと、勉強する事が新鮮で、新鮮で、笑。ここから楽しいひと月になりそうです。

今日も皆さま、お健やかにお過ごしください。

あかね