あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

ここ最近、胸の前に2枚組CDケースくらいの大きさの石板があるような感じだったのですが、昨日の夜、ある曲が聞こえてきたら、急にふっと軽くなって、石板が消えていました。でもハートは何処かへ行ってしまったようなそんな感覚のままで、これは仕方がないなあ、と思ってやることやって寝たのです。

今朝起きたら、私という力が入らない感じで、本当に不思議な感覚です。草のような気持ちといいますか。何があったとかではなく、昨日の夜、石板を手放したせいなのか。あれは何かしら機能を果たしてくれていたんだな、と。全てを受け入れる、って、大事ですね。でも、ここまで不慣れな感覚も珍しいので、これは宇宙で何か起きてるのかもしれません。こういう訳の分からない感覚の時は、大抵天体の影響だな、と思う止まりです、笑。ただ見送ればいいのか、何かした方がいいのか。今夜探索に行ってきます。

先日、父からゴルフの話を聞いていたら、ボールをキャディーさんに拾ってもらっている、という事を聞き、体を作り直して拾えるようになるといいね、という話になったのです。その直後に父が電車のホームで手に持っていた小銭をチャリンチャリンチャリーン、と落としたのです。私はキャディーさんのように拾いました。「はい、ストレッチしましょ!」そんな出来事に、父は半分びっくりしたような顔で笑っていました。

そうしたら、後日、やっぱり神様からの御達しだとあの時思った、と言っていました。そして、ストレッチしている姿を見て、御達し効果すごいわ、と。誰かに言われるんじゃなくて、自分で気付くってモチベーションとして大きいんだな、と感じました。

今日はバイパスを走っていた時に、最近気になっていたことについて考えていて、あれとこれは同じという事であってるのかな?と思ったら、ボンネットに、パコーん、と空から降ってきた何かが当たって跳ねたのです、笑。そうしたら、左前方にすごい笑顔が感じられて、あ、あってるのか、と感じました。

最近変性意識状態を作ってどうこうでなく日常の中の知覚のパターンとして、左前方と右前方の窓というか丸くイメージが浮かぶところがよく使われています。こういう些細なことも覚えておくとパターンがつかめるだろうと思ったり、最近パターンのことをよく思います。ほぼ全てが脳が作り出すパターンだとしても、自分の好き嫌い、感動だけがどこから来るのかは、すぐに把握できなかったりして、そこを想像すること、感じることを人生で楽しんでいるのかな、と思ったり。

群馬の自然史博物館?で恐竜を見た直後、コマツの重機が視界に入った時に、気になる率が高くなっていた時期があって、その時に子供が重機が好きなのは、恐竜の記憶にまだアクセスできてるか、懐かしさが残ってるからだろうなと思っていました。重機ではなく、最近スバルの車が異常に気になりそのことを思い出しました。車を運転していて、あ、と思うとスバル車なんですよね。高速を運転してると、あ、今の車いい!と思って助手席の妹に今の何?って聞くと、カレラだよ、、というやりとりは昔から何度もしていて、私はカレラの形が感覚的に好きなのか、とは知っているのですが、スバル車、なんなんだろう?かっこいいとか変な感じとか何もなくても、二つ横のレーンを走ってて、側面みて、あれ何だろ?って気になったらスバルのマークが、、、という事ばかりです。完全にRASがスバル車を拾っています。いつか終わりが来るのかなあ。

フラワーオブライフ を途中まで読んでやめてから、また面白い本との出会いがあったんですよね。間違えて買って放置されていた本が、他の本を探した時に奥から出されて、目につくところに出ていて、あれ?これ何の本だろう?と読んでみたら、ドンピシャでした、笑。タイミングって。本当にすごい世界にいるんだと思います。ここからどうなっていくのかなあ。

 

グルーオン

今朝は外国の人が「クヨーン」と言ってる場面が目覚めた直後に見えました。この発音が怪しかったので、すぐ「クヨーン」とメモしておきました。

で、さっきIHで使っている調整方法について相関してるのか気になる事があったので、その事についてネットサーフィンしていたら、ヒッグス粒子から、「グルーオン」という知らない言葉に突き当たりました。ハッとしたので、朝のメモを確認したら、クヨーンと。あ、これだ!と感じたので、何だろう?と見ていくと、物理色力学、というものがあるらしい、、という事がわかりました。

物理なんですね、やっぱり。哲学科にいた時、二人の教授が物理と迷ってこちらの道に来た、と話していた時に、へえ、そうなんだ、と全くそこを迷う意味がわかりませんでした、何せ物理を知らなかったので。でも、10代で物理と迷えた、先生たちって、すごいわ、笑、と今思います。高校時代に、この子天才だな、と思っていた子は物理へ進み、物理なんて天才のやるもの、と思っていましたが、彼が勧めてくれた本でも読んでみようと思いました。面白い対象が天才を作るのかもしれませんね。

こんな事をいうと、みんな天才なんだよ!と吠える人が近くにいるのですが、笑、あの10代で同級生を天才と思った、あの感覚って本当に素敵な感覚だったなあと感じます。もう、あの時のように誰かを天才とは感じられない、今感じる天才はあの時とは違っているな、と感じます。あの頃の感性って、本当に、純粋で、いいものだったなと。あんな感覚が戻ったら、私はとても幸せだろうと思いました。あの感覚を思い出していこうと思います。