あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

時には、草臥れる事があっていい、と元気に言ってみたりする。

くたびれる、こんな字だったなんて初めて知りました。

草の上に横たわってしまう状態なのか

まるで草が横たわってしまうような状態という事なのか

 

体は心を教えてくれる

心が脳でどう作られているのか、という本を読んだりしています。

この世界で何を感じに来ているのか。

のんきに音楽なぞ聞きながらパソコンを打っていられるいまの私は何をしに来たのでしょうか。

  

茶道の裏千家の元お家元とお呼びしていいのか、お茶の世界をわかっていないので、よく分かりませんが、千玄室さんの今年のご挨拶のような文章を拝見しました。お茶って、本当に面白い世界なんだろうなあ、と思いました。

お茶する人が皆こんなことは思っていないとは思いますが、そのお話の中で私が理解したことは。

世界平和→和→礼儀→お茶→心の平和

戦争を禅の修行を芸術を、こういったものに触れている方のみんなに向けた言葉は優しさと未来への思いが溢れていて、心が洗われます。

最近面白い事がありました。

思春期はどっぷり歌謡曲に心揺さぶられた私も、先日その時代の音楽がラジオから流れてきた時に、この曲聞いて涙を流せていたなんて、、なんて、、若かったんだろう、と思ってしまいました。

センチメンタルからかけ離れてしまった私にびっくりしたのです。

恋だ恋だと騒いでおいで!その時だけだよ!海に浮かんだビーチボールみたいな気持ちでいられるのは!笑

歳をとると、恋っていうのも小鳥のさえずりのようなもので、無くても気にならない、あれば彩る。そんな感じだなあと。

同志の方が、熱くなる。仲間と触れて見えてくる自分と自分の摩擦にヒリヒリします。

恋愛とはよくいったものだと感じます。

恋。色彩

愛。輪郭線

線がない世界には愛なんて概念は無いでしょうね。

光と影、線はこの世界にあるんでしょうか。

みんなと繋がっていられることに

時に思い出し、思い出されることに

体があることの面白さ有り難さを感じる

今年も素晴らしい出会い、決断、行動の一年となりますように

 

って、これも歌謡曲が流れてきたらこんな日記になってしまう面白さ