あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

2020/2/13

 

恋って、愛に出会うための場所だから、リアルに胸が張り裂けるんじゃ、と思ってしまうほどの痛みがあるんだと、この年にして理解しました。知らない自分と出会うんだ!と。自分のことを知らなかったから、あんなに痛かったし、今でも自分を知らないからこんなに胸が痛むのかと、びっくりします。でも、今は、覚悟があるからどんどん知らなかった自分が見つかって痛みが出ても、冷静です。今、自分がどれだけ変化してるのか分からないけれど、これ、リアルに皮膚に裂け目とかつくんじゃないかと思う程、胸から指先までビリッビリに電気が走ります。

生きてるって、自分を知ることで、恋するって、自分を知ることで、自分を知り尽くしたと感じたら、死が訪れるかもしれません、恋が終わるかもしれません。誰かや何かを好きって気持ちはだから、大切にしたいと思いました。好きって引力が命なんだろうな、知りたいって引力なんだろうなと。矢印が生命なんだなあと。

ブルースって、なんて明晰さを持っていたんだろう、生きている時には全く分かっていなかったなあ、と。アメリカの選挙のニュースが流れてきて、ブルースを思い出して、このメソッドの最近の恩恵を思って感じました。(去年の暮れから、毎日準備プロセスしていて、こんなに真面目に練習してるの初めて、笑。真面目にというのか、細かく観察しながらやっているから、自分の変化に気付けてすごく面白いし、全然今までとは違う体験をしていて、これもみんなとシェアしたり実験できたらなあと夢が膨らみます。)ただ昔の私は何かを感じて、この人についていったんだなあ、と。

大学で老子のゼミを取っていた時に、先生が黒板に書き下し文を書いていくのを見ていると、いつも同じイメージが浮かんで、ノートにそのイメージを何度も書いていました。老子のことは何も頭に残っていないけれど、このイメージだけはずっと残っていました。未来の自分と過去の自分が今の自分に選択をさせているんだってこと。つじつま合わせだけをしているのが今。電話交換手みたいな瞬間。常にツイストドーナツのどこか。ドーナツ食べたくなっちゃった人、小麦粉か砂糖か脂質か真理中毒かもしれません、笑。中毒、について、すごく面白い事がありました。中毒、ってダメだと思っていませんか?その視点が私にとっては無駄だった、という気づきがありました。そんな気づきをくれたチャクラのクラスの後半が来週あります。すごく面白い練習セッションでした。

無駄なものっていろいろあります。例えば女性性と男性性って言葉を私はセッションで使いません。言葉の意味が私には分からないから。意味の分からない言葉は気にする価値がないと私は思います。それなら父性、母性、大人、子供、友達、そんな性質についてイメージする方が役立つというのか。苦しめる概念、って不要な概念ってことだから、考えて分からないなら、私は一旦手放します。自分が、こうだ、と思っているその捉え方自体が誤りだと感じたら。何か、窮屈な話になってきました。でも、無駄なことっていうのは、ないですよね。

もう、恋に恋する年ではなくなった、そんな2020年、今年は「気まま」にいきます。全員には見えてないのかもしれないけれど、時に見えて感じる世界を使う工夫や面白さについて、わちゃわちゃ話したり、BMMを使った実験したりする仲間の輪が広がったらいいなあと思います。なんだか、年始みたい、笑。来週で、一山終えて、今年が始まるような気分です。

残りの2月も素敵な時間をお過ごしください。

"Some people claim there is no life after death," said a disciple.

"Do they?" said the Master non-committally.

"Wouldn't it be awful to die - and never again see or hear or love or move?"

"You find that awful?" said the Master. "But that's how most people are even before they die."

  〜 One Minute Nonsense

  Anthony de Mello, S.J.〜

って、テキスト開いた所に書いてありました。

最近、APの「感情・思考・態度」の調整がピンポイントで個人的に当たりすぎていて、こんなリスト、リチャードはどうやって作ったの?と思ってばかりです。AP面白い。

それでは!

あかね