あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

この世界

みなさん、こんばんは。

今日は、7km走ってきました、笑。グラウンディング大事ですからね、笑。

帰り道に空を見ていたら、オリオン座だとか、わかりやすい星しか分からないことがもったいないなあ、と思いました。子どもの頃は、円盤みたいなのをクルクル回して望遠鏡もあって、見ていたのになあと。

昨年の夏のブルース・モーエン来日ワークショップのレベル4で、宇宙探索をして、自分の起源を見に行ったり、宇宙の構造?というか、フロントローディングにならないように話をするって難しいですね、笑。むぅーーー。

まあ、いろいろと見てきたわけです、そして、そこで見たものたちが自分が妄想の中で勝手に作り出しているものではなくて、他の方から、同じ描写を耳にする度、自分の知覚を信じるきっかけになって、嬉しいことと、そこで知覚したものって、なんだったんだろう?って思うんですよね。ワークショップから半年経つわけですが、最近も自分が知覚したものと共通する話を何点か聞いて、わあ、と思いました。

なんだったんだろう?って思ったら、自分で想像する楽しさもあるけれど、想像するより、答えをもらいたいと思えばガイドに聞いてしまえば、一応答えをもらって終わってしまうんですよね。これを沢山の人とあーでもない、こーでもない、とおしゃべりするのが、ワークショップや飲み会でとっても楽しいんですけれど、その楽しさってなんだろう?と思ったのですね。そこで、思いついたのが、最早、宇宙を知覚した話と妄想の違いを説明はできないですけれど、一般的に見て、これが唯一の正解って考えなくてもいいもので、みんなが自分の思うことを自由に表現して、ふむふむ、って周りは話を聞いて、また他の人はどう思ったかを表現して、自分じゃ考えないような話を聞いたりして面白いなあ、ってひとの感性に感心するという、共通するものも、独自のものも、すべてOK!with fun!という場なんですよね。とっても、しあわせ。この世のあらゆる瞬間がこんな場であったら、、、と思ってしまうような場だってことでした。

最近、この世のつまらない話にうんざりしつつも、そんな場が発生しうる、素晴らしい世界なんだなあと実感する、そんなことを思うと胸がいっぱいになる、瞬間があります。なんなんでしょう。今まではそんなこと思ったことなかったかもしれないですし、ひとと生きていくと思ったことからの変化なのかもしれませんが。

「わたしがわたしをしっかり生きられますように」とふと願っていることがあります。そんな時は、ハッとします。勝手にハートの中で声にしているので。

そして今日は「ついに始まる」という声も同時にしてきました。

泣いても笑っても、一度の人生。泣くのも笑うのもどちらもいいですね。

そんなことを最近思うのに、なぜか始まらない、ちょっとヘルプを、と思う方は、セッションにいらして下さい。IHのホログラムの中で、ガイドから許可がおりれば、リトリーバルもさせて頂きます。

今夜はお布団に入ったら、ひとつリトリーバルをしてから寝ようと思います。

明日もすてきな朝をお迎えください、おやすみなさい。

 

追伸 ガイドさん

そろそろ、UFO見たいです。けっこう首が疲れてきました。

あかね

おみくじ

みなさん、こんばんは。

今日は、昨日今日と試験を迎える人のお願いに、市内一のお気に入り神社へ行ってきました。公園が隣接していて、なんて呼んだらいいんでしょう、滑車に繋がったロープにぶら下がって、あ、あ、あ~!と声を出したくなるものや、下まで滑るのに、1分くらいかかってるんじゃないか、という滑り台にも乗ってきました。公園の中で写真を撮っていた時は大丈夫だったのですが、神社の方に向けてシャッター切ったら、また電源が落ちました、笑。きっと、ここにはUFOが来ているのね、と。

神社では鯛を釣るおみくじを引いてみたのですが、大吉で!私には滅多にないことなので、とっても嬉しかったです。

そして、この後、もっとびっくりすることが起きました。

神社へ行く前に知り合いのお店に寄ったのですが、ちょっとした待ち時間に預言カフェのまねをして遊んでいたのです。その人のガイドをイメージして、思い浮かぶ光景を話していたんですけど、その人が神社でひいたおみくじに似たようなことが書いてあって、、、びっくり!

最近のリトリーバルが効いているのか、ランが効いているのか、ちょっとした変化だけでうれしくなります。

覚悟を決めて、進むのみ!ということで、日々いいかな?と思う事をしているわけなんですが、私のガイドも私のことをよくわかってくれていますから、こうやって、やる気を出させてくれるんだな、と思うと、いまだ寝付けません、4時、笑。

白む前に眠れたらいいなあ、と思います。

おはようございますのみなさん、今日も素敵な一日を!

あかね

対話篇

みなさん、こんばんは。

今日は5km走ってきました。ここ最近で気づいたことがあったので、その話を。

最近読んでいる本が対話形式で書かれていたんですね、それを読みながら、プラトンの対話篇を思い出していたんです。対話から導かれる答え。それと並行して、ある人とメールのやりとりをする機会に恵まれまして、これも対話だなあ、と。

最近は、手紙を書くことも減りましたし、自分の思いを語ったり綴る機会は少なかったので、結構真剣に自分の本音と向き合う機会になったのです。そんなことに付き合ってくれる人がいるなんて、信じられますか?とってもありがたい気持ちになりました。

村上春樹の新作のタイトルに「イデア」って単語が入っていますが、イデア論とか、昔はなんのこっちゃ、と思っていたというか、天にある概念をこの世にそれとして表現する、というようなことの意味がよくわかりませんでした。でも、今はそうだろうな、と思うし、イデアという言葉が脚光をあびて、古典がもっと古典らしく広がっていったらいいな、と個人的に思いました。

古典は、模倣するに値するもの、というような意味で、古いってことじゃないんですよね。そして、模倣するというのは、人間の学習の基本の第一歩。赤ちゃんには、見本を見せてあげるのがいいそうです。そして、やり方を紐解くような教え方をしてしまうのではなく、見せて真似させるのがいいそうなんです。それによって、こどもは、自分で見ながら考えるということを覚えて、いろいろなことを身につけたり、挑戦したりするようになるそうです。解説がまずあって、の教え方をすると、解説がまずないと、やり方がわからない=できない、と思って挑戦できない人になってしまうそうです。勇気を育てることにも繋がるので、大事なことだそうです。

子育てを見せてもらうと、いろいろと勉強になります。こどもって、かわいいですね。

紀元前の人たちが、普通に持っていた第六感のような感覚も使いながら今を生きる。あの時代の人たちの炭素もどこかに混ざっているのだし、あの時吐いた息も形を変えてどこかにある。そう考えるととてもロマンチックで、私は生かされてるんだなあ、と思ったり、活かしたいなあ、と思ったり。

みんなに手を貸してもらいながら、しっかりと歩めますように。そんなことを思った今日でした。

おやすみなさいませ。

あかね