あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

特別な人にもう会えない触れ合えない世界になった。想像力が鍛えられている人が孤独に打ち勝つ。世界の成り立ちを知っている人だけがただ存在する。苦しさとともにある人は、世界を変えようとする。そこに喜びを見出す。それぞれが、したい体験を重ねる。この世界は幻、夢、虹、だからこそ素晴らしい。みんなに平等に与えられているから。

虹に触れることはできないけれど、虹を見て、虹があるという。

目の前に起きる現象は虹。「私」という太陽から出た光をハイヤーセルフやエゴと呼ばれる水滴が映し出したもの。光をその水滴であるそれぞれの意識がどう映し出すのか。水滴である私たちはハイヤーセルフとエゴのバランス、ただ、自分の望むものへとバランスを取れば、無かった虹が現れる、虹の表情が変わる。虹を見るのは「私」であり、見たいのも「私」であるが、虹を作ることができるのは、私たちなんだ。

人生の全てが回顧。思い出しているだけ。本当は怖いことなんてないんだ。思い出している時、人に感情が湧く。感情を味わうために思い出しているだけ。体験している今には湧かない感情。過去、未来へと意識が動かなくては感情は生まれない。一瞬にして感情が生まれる時、意識は瞬時に過去未来へと旅している。過去、未来という名の記憶がどこにあるのか。体の周りか。それすらも、意識の一部。私たちという存在は、体にとどまっている限り永遠に私たちで、私にはなれないんだ。どうでもいいことに関して、私は、という時、嘘をついているような、迷子になっているような感覚になるのはそのせいだ。

今日、何種類かのトリュフを食べた。トリュフ味、は知っていたけれど、食べ比べてみて初めてトリュフ味の真ん中がわかった気がした。私はトリュフより香水の方が好きだな。