あちらとのdiary

内なる宇宙との対話から私を思い出し、表現する場

乱視

今日、外に出たタイミングで母と遭遇し、月を見ました。

母「今日は中秋の名月よ、きれいに見えて、、まん丸ねえ」

私「そう?左側少し足りない感じがするけど」

母「乱視だからよ、綺麗ねぇ」

私「わっ(乱視ってこんなに歪んで見えてるんだ!すごい!乱視!)」

と、すっかり乱視のすごさに逆に発見というのか感動を覚えつつ、まん丸が私にはこんな風に見えてる、ってことを味わっていたのです。私オリジナルの月の形、というのか。

が、満月明日でした、笑。

綺麗綺麗という母のテンションに引っ張られて、乱視すら、いいものの様に感じた、あの時間、笑。

全てのものに良い悪いがない、意味はなく、自分のフィルターだけがそれを作って、気持ちを震わせ楽しんでいる。自分が何かに反応した後ですら、この真理がフワ〜っと立ち上がってこちらを眺めてくる、最近はそんな感覚が本当に多くなってきました。

世界はめちゃくちゃ面白いし、この2020年を体験してると感じている自分がいることを通して、本当に私がここにきたくて来たんだと感じます。

過程が楽しいんだ、過程が。

恐れの信念を手放すことと、自分の歓びポイントを知ることだけで、リラックスの時間が増えて、リラックスの時間が増えれば、信念にも歓びにも気づきやすくなって、このサイクルが回れば回っただけ、楽であり、自由であり、力強い。

拡散、網羅、拡散、網羅、この繰り返しというか。やー、本当にどうしてバシャール今までひっかからなかったのか、この世界は本当に巧みに作られています。これを早くに知っていたら、こんなに脳に興味をもつ時間が取れなかった。私は脳とか、翻訳とか、ダンスとか、中継所?みたいなのが大好きなんだなあ。